大学生編 ~その1~

大学生編 ~その1~

神奈川大学 法学部 法律学科
(1996年~2000年)

東急東横線 白楽駅徒歩約10分
2階建て合計6世帯アパート
(隣の部屋は品の良い大家さん)

 

その1階で6畳一間の畳部屋、バストイレ別。湯舟に浸かりたくてバストイレ別の部屋と決めていて、該当物件数は少なかったけど良い物件に当たって運が良かった。

 

隣部屋も神大生で上の階の住人も神大の短大生と聞いていた。アパート前は神社に繋がる階段があり、秋は祭りが行われるけど(途中まで気付かなかったけど、神社には縁のある人生を歩む)住宅街なので基本的に静か。ここに4年間居住。パパっと決めた割に住環境は良い所で運が良かった。

 

1年、2年の時に箱根駅伝2連覇、横浜ベイスターズ日本一。みなとみらいのクイーンズスクエアがオープンするなど、横浜が盛り上っていた時期。住むまで横浜の事は場所も何も知らず、住んで初めて色々と知った。

 

神奈川大学に入学し、たまたま横浜に住めたことは本当に運が良かった。最初の時点で大当たり。今でも横浜は大好きで、みなとみらいは特に好きで半年に1回は定期的に行っている。良い縁を頂いた。

 

大学の想い出

友人

クラス分けがありそこで友人ができ始めた。英語の授業で会うことがあり、昼ご飯を一緒に食べたりして仲良くなっていった。大学時代の友人で今でも付き合いがあるのはその友人達。20年以上の付き合いだから、縁があるんだなと思う。

 

ちなみに、4月、5月頃は普通に授業に出ていたと思うが、必要性を感じなくなり徐々に出なくなっていった。授業がつまらない、というのは言い訳だけど、入学早々に法学に興味を失い早々に法曹界への道を無くした。何となく良いかなと思っていた法曹界の目標が早々に潰え、目標がない大学生活を歩んでいく。

 

いつも同じ

社交的ではないため友達は多くはなく、いつも同じ友人といることが多かった。サークルやバイトで知り合うこともあるけど、同じクラスの同じメンツと同じ場所に集まっていた。

 

授業に出ると教室で会い、授業に出ない時はいつもの場所に行って昼ご飯を一緒に食べるのがルーチンだった。適当に授業に出てバイトがあればバイトに行き、バイトがなければ学校で話をしたり僕のうちに来たり、まれに車を出してもらってラーメンを食べに行ったりして、ごく普通の大学生活を過ごしていた。

 

飲み会もあったけど、やる時は事前に決めてやることが多く「今日のもう」というのはほとんど無かった。今思うと健全なメンツだった。

 

泊りで遠出をするということもあまりなく野球サークルでの夏合宿と数回の国内旅行くらいで大人しい大学生活。ビリヤードに熱中するようになったことも大きな要因だけど、当時は旅行にそれほど興味が無かったのも大きな要因。

 

1つの事に熱中するとそれ以外の事に興味が無くなりそればっかりになってしまう性格。それは今も本質的には変わってないけど興味の幅は広がった。1つの興味に対して深掘りをしてある程度納得がいったら次の興味に進む。そんな感じで蓄積をしている。

 

また、環境変化に弱く安定した環境を好むことを当時から無意識に気付いていたのだと思う。そのため同じメンツ同じ場所を好み、自分の世界を作る。自己防衛だったのだと思う。

 

影響を受けた友人

最初の印象から独特で変人なのは明らかだった。

 

僕が言う
「変」、「変わってる」
は誉め言葉だ。

 

なぜならそれは
「他と異なる個性がある」
という意味だから。

 

だから僕は
「変」、「変わってる」
と言われるととても嬉しい。

 

ただ見た目は至って普通なため、初対面で「変」と言われることはそうそうなく、付き合いが深くなると分かるタイプ。それとは対照的に彼は第一印象から明らかに「変」で、付き合いの深さに比例して変人度は増していくほど「変人」だった(誉め言葉)。

 

三度の飯より音楽が好きで生活費の大半をレコードに費やし、部屋(寮生活)中レコードで一杯。かと思いきや、突然すべてのレコードを売り払う。

 

ちなみに、社会人になってから時々泊りにくることがあったのだけど、お土産としてカセットテープやCDをお土産にくれた。手書きの解説カードとオリジナルイラストを入れた世界に一つの音源。独特過ぎて理解し切れなかったけど、それはそれで良かったみたい。

 

その他にも、長髪だったかと思うといきなり坊主にする

 

ガリガリだけど歌うと美声

 

適当そうに見えて、実は友人の中で一番多くの単位を取っている

 

運動はできなさそうに見えるけどバトミントンが上手い

 

変な見た目通りの変な点がある一方、ギャップがある。それが更に彼の魅力を際立たせていたのだと思う。

 

僕のアパートにもよく泊まることがあって夜な夜な哲学的なことを話していた。何を話していたかははっきり覚えていないけど、白熱して時々言い合うこともあった。感情を込めて言い合うことができたのは振り返っても数少ない。その時は感情的になっていて受け止められなくても、振り返ると「そうだな」と思うことがある。

 

印象的なのは
「好きなことは恥ずかしい」
と言っていたこと。

 

言い合いの中で出て来たのでその時は理解し受け止められていなかったけど、後々振り返ると「そうだな」と理解し納得できるようになった。

 

自分には無い「見方」と「考え方」を知る切っ掛けを与えてくれた、変人変態のA氏。とても感謝しているし、とても印象深い存在だった。

 

野球サークル

大学で野球をやることは決めていた。とは言っても部活ではなく、楽しく気楽にやれるサークルで野球をやりたかった。

 

6つか7つ程野球サークルがあったのだけど、入学前の部活・サークル案内を見た時に、「神大ヤンキース」というサークルの印象が強くそこに入ろうと思っていた。名前はともかく、歴史が長い、伝統があるってとこに惹かれた記憶が何となくある。

 

サークルに伝統とか重要ではないと思うけど、その辺に惹かれるのが僕の性格なのだと思う。他にもバトミントンも好きだったのでサークルに入ってみたけど、何となく馴染めずに行かなくなった。

 

サークルだから色々と所属して色んな出会いを求めれば良いのに、それをしない、やりたくない、いやできないのが僕の性格。融通が利かず、社交性があまりなく、特に初対面が苦手。初対面の人が多くなると余計に緊張する。初対面で自分を出せないから、余計に堅苦しい真面目と思われる。つまらない人って思われる。それが嫌だった。

 

少人数なら自分を出しやすい。慣れるとリラックスして普段の自分になれる。その傾向がわかっていたから大人数のサークルではなく、少人数のサークルが合っていた。

 

丁度良い

神大ヤンキースの同級生は5人。上級生も少なくて名前と顔を覚えることができる規模。上級生との距離も近くて僕にとっては丁度良い距離感。

 

野球のレベルも高すぎることがなく、自分でもちょっと上手い方に入ることができる丁度良いレベル。練習ペースも適度だし強制でもないのでそれも丁度良い。

 

チームとしては強くはなかったけど、野球を楽しむには丁度良い。総合的に僕にとって丁度良い野球サークル。

 

ただマネージャーがゼロ。花は全くなく男ばかりの野球サークル。野球サークルに出会いは求めていなかったけど、その点はちょっと寂しかった。やはり女性がいると華やかだしやる気も出るから、とても重要な存在。

 

投手

サークルでは念願のピッチャーをやった。これまでと違う野球の楽しさがあった。マウンドに自分が立ち試合の主導権を握れる、野手と違う緊張感はあったけど楽しさの方が強かった。

 

しかし、好事魔多し。久しぶりの野球で緊張して体が固い中、思いっきり投げ過ぎたのか肩を痛めた。そのうち治るだろうと思ったけど、これまで感じた事が無いような痛みが続く。整形に行って診てもらった。

 

詳しいことは忘れたけど、「腱がすり減っている。完治は難しい」ということを言われた気がする。それ以降、思いっきり投げることは難しく、1~3イニング程度しか投げられなかった。

 

入って早々肩を痛めて満足に野球はできなかったけど、大学で野球ができた事はとても嬉しかったし楽しかった。

 

代表

世代交代する時に上級生から代表を指名されるのだけど、光栄なことに指名を頂いた。

 

リーダータイプの人間がいる場においては僕がリーダーになることはまずない。大所帯のサークルであればリーダータイプの人間は何人かいるだろう。サッカー、テニス、スキーなど女性が多く賑やかなサークルはリーダータイプが多い様な気がする(個人的な印象)。

 

しかしヤンキースは人数が少なく、どちらかというと落ち着いたサークルで似た者が集まっている感じ。率先して自分からリーダーをやるタイプは少なかったと思う。そんな環境に僕がいる場合、「誰もやる人がいないのであれば自分がやろう」という気持ちになり、リーダーになる傾向がある。

 

そんな環境だったので、たまたま自分にその役割が来たのだと思っている。あと、当時は考えてもいなかったけど、高校を選ぶ時と同じく「鶏口となるも牛後となるなかれ」の環境を知らず知らずのうちに選んでいたのかもしれない。

 

野球は楽しくて面白かったけど、それ以上に面白いものに出会い大学生活を大きく変えることになった。それが何かというと、人生の3大趣味の一つである「ビリヤード」(ちなみに野球も3大趣味の一つ)。

◇中編に続く