新入社員 ~研修編~

新社会人

社会人1年目。
会社勤め、同期、上司先輩、
営業、お客さん、
全てが初めてのこと。

 

当初は全く思ってなかったけど、最初に入った会社とその仕事は後々の僕の人生に大きな影響を与えた。特に最初の3年間の経験は貴重だった。

 

ここでの経験が僕の最初のターニングポイント。ちょっと長くなると思うけど、大事な部分なので詳しく書いていこうと思う。

最初の会社と入社動機

(以下、全て当時の情報)
2000年4月入社に製薬会社入社。
社員数は約1,500人、MRは約500名。
入社直前に一部上場。

 

医療用医薬品とOTC医薬品があり、
売上規模は約500億円。

 

世間的には大企業の部類に入るけど、
製薬業界では中の中くらいの位置付け。

 

就職活動をするまでその存在を知らなかったけど、今はテレビCMをやることもあるので知名度は当時よりも上がったと思う。

 

ちなみに入社の動機とMRを選んだのはこんな理由。

 

〈入社の動機〉
・消化器領域に強かったこと(自分自身、胃腸が弱くて馴染みがあった)

・理念の中で「人財」とうたっていたこと(人を活かし、人を大切にする会社と感じた)

〈MRを選んだ理由〉
・陰で医療と患者さんを支えられる存在になりたい
・薬や医療の知識を身に付けることで身近な人の役に立てるようになりたい

 

この理由は、理想だけど少しは近づけたかなと思う部分もあるから間違ってなかったと思う。

 

ただ理念に関しては、新卒ということもあり、全てを真に受けていて、理想と現実のギャップを受け入れ消化できるようになるのはもう少し先のことだった。

集合研修

入社後6か月間は集合研修で施設に寝泊まりし、朝から晩までひたすら座学。その間現場での仕事はないが給料は出る。同期入社は全員で約60名。その中でMRは28名。

 

最初の研修は全員一緒の場所で行い、その後はMRとOTC営業が2週間程一緒で、その後はMRのみの研修が始まった。業界独特の研修で、12月にMR認定試験があり試験を受けるためには所定の科目に対する研修が必要。内容も専門的でかなり時間を要するため、会社が主導し研修を行う。

 

MR試験用のテキスト(業界共通)があり、研修の前半はテキスト学習。それが終わるとその後は自社製品の研修が始まる。僕が入社した時代までは6か月間の研修が普通だったけど、翌年以降は研修期間が短くなり現場に出る時期が早くなっていった。

 

研修期間は会社によって違ったけど、各社、新人を現場に配属する時期は年々早くなっていった。研修費用も膨大だし、各社昔ほど余裕が無くなりつつあるため、一刻も早く現場に出て成果を出して欲しいということなんだと思う。

 

当初は、毎月場所が変わる研修が不安で嫌だったけど、2ヶ月程経つと慣れてきて、その後は時間が経つ程に同期とも仲良くなり学生のノリで楽しんでいた。

 

この6か月の一番の財産は同期との関係。現場に出てからも同期とは連絡取りあって時には飲んだりし、転職してお互い会社が変わっても交流は続いている。

 

社会人になって6か月も寝食を共にするって中々ないので、その機会に恵まれたのは振り返るとありがたい時間だった。

MRは営業じゃない

最初の新卒者全員の研修の際、作文の課題が出た。MR職は「MRとは」というテーマだった。この時僕は「MRは営業じゃない」という見出しでトウトウと自分の理屈を述べた。

 

・MRは医療現場の情報を収集して
 フィードバックする仕事だ
・医師、医療関係者、患者さんの
 役に立つ情報を提供する
・命に係わるものだから
 営利目的で仕事をするものではない

 

などということを書いたような記憶がある。後日返却され、評価は「A」だった。多分、全員がA評価だったのだろうけど指摘も何もなかった。まずそこのボタンが大きく掛け違っていて、その後、営業としてそのギャップを埋めるのが大変だった。

 

ギャップと言えば、、、研修中に先輩方が来て質問に答えてくれる機会があった。そこで僕が聞いたのは「現場に出てギャップがあったと思うが、どのように対処したか」という内容だった。先輩方は経験談を話してくれたと思うけど、それ以上に印象に残ったのは当時の人事部次長だった人のこの回答。

 

「ギャップを埋めるのが仕事なんですね」

 

何か丸め込まれたようで嫌な感じがしたけど(その人のキャラクターがねちっこかったから余計に思う)一理あるかなとも思い、印象に残っている。

先輩の体験談

先輩の話といえばこんな話もあった。Macに詳しく、また医師情報を詳しく収集している先輩がいた。その方はMACの操作に困っている先生を助けたり、家族情報や記念日などを聞き出し贈り物をするなどの個性を出している方だった。

 

当時の私は、「MRがそんな事をする必要はない」と考えており、言葉には出していなかったけど反発していた。しかしその2年後、私は率先して医師の個人情報を聞き出し、気を引くために様々な工作を施していた。その効果は高いものがあり、1つの成功パターンとして私の大きな武器になっていた。

 

その方が言っていたことを「そんなこと必要ない!」って思っていたことを自分が実践するとは夢にも思ってもいなかった。現場に出て本当に必要とされているものは何かを知り、それを提供するためにできることは何かを自分なりに考え、納得してやるようになった。

 

今ではコンプライアンス違反なのでできないけど、当時は未だ規制されていなかった。グレーな部分もあったと思うけど、臨機応変にできるようになったのは成長であり、ある意味妥協でもあったのかもしれない、と今では思う。

 

「理想だけでは成り立たない」、「理想と現実は違う」ということを身を持って知ったのだと思う。

 

歳月が過ぎ、この営業を教えてくれた人は僕が所属する営業所の所長になり、当時思っていたことと、感謝の気持ちを伝えた。不思議な縁だなと感じた。

同期

本当に個性豊かな同期で良い仲間に恵まれた。研修当初は中々馴染めない僕だったけど(環境変化に弱い、慣れるのに時間が掛かるのは変わらず)、徐々に慣れて皆が受け入れてくれてリラックスできるようなった。

 

MRの同期は28人で、女性8人、男性20人。薬剤師が10人程。文系理系は入り混じり出身地も全国各地。

 

・色黒でタイ人と間違われがちだけど好青年
・オチを付けるの忘れない見た目から関西人
・目をキラキラしてパーソナルスペースを詰めてくる男子
・ヤクザ並みにガラが悪い広島人
・褒め上手な九州人
・やたらPCに詳しくて年下だけど上司顔

他にもまだまだいるけど本当に個性豊かで面白い同期。その中で自分はどのように見られていたんだろう。あまり考えたことが無かったけど、個性派と思われていたらとても嬉しい。

 

ちなみに、
「変わってる」
「変」
「普通じゃない」
これは全て僕への誉め言葉。

 

逆に、
天邪鬼で人と違うことに誇りを持つ僕は
「普通」
と言われる事が最もダメージが大きい。


もとい。

中には研修中よりも現場に出てからの方が仲良くなった同期もいた。長い付き合いができているのは本当に嬉しい。

配属先

研修の後半になると配属の話で盛り上がる。配属に関するヒアリングがあって人事の人との面談の機会が設けられた。

 

僕は東京配属希望で、「情報が多く最先端の東京で自分を試したい」というような事を言ったか言わないか定かでないけど理由を伝えた。その効果があったのかどうかはわからないけど東京配属に決まった。

 

僕はたまたま希望通りの配属だったけど、希望が叶わなかった同期も沢山いた。中には、「入社前に聞いていた話と違う!」と怒って残念ながら辞めて行った同期もいた。

 

一部の配属の入れ替えをしていれば彼も辞めることはなかった出来事。会社の都合もあるだろうけど回避できたことだけに、配慮が足りない、もったいないと感じた。

 

ちなみにこの時、僕の配属がもし東京でなく他の地域だったら、実家の三重や近隣の愛知だったら。たらればだけど、僕の社会人生活は間違いなく大きく変わっていた。

 

東京配属以降、転職も全て都内の会社を選択し、東京から出ようとしなかった。転職は自分の選択ではあるけどスタート地点が東京でなかったら思うように転職することもできなかっただろう。

 

直属の上司ではないけど、僕の好きな方がこう言っていた。「東京は特殊だ」と。

 

どういうことかと聞いたら、その方は北海道出身で、「東京は転職しやすい条件が揃っている。地方はそうはいかない」と。確かに東京本社の会社は多く、転職エージェントの面談も簡単にできるし、セミナーにも気軽に出られるから地方よりも格段に簡単に情報を得ることができる(当時は今ほどネット情報が多くなかった)。

 

もし、当時地方にいたら転職は難しかったと思う。初めての転職先はコンサル会社なのだけど、地方にいたらその道はなかった可能性が高い。そう考えると配属はこの先の人生を決める大きな重要な転機だった。

 

東京が良かったのか悪かったのか、それは人生が終わる頃にわかること今後次第で答えが変わる。終わり良ければすべて良し
そう思えるように歩んでいこうと思う。

文集

研修も終わりに差し掛かる頃、「現場に旅立つ抱負」を書く課題があった。それをまとめて文集として製本し皆で共有するというもの。これは宝物で今でも残っている。

 

僕は慣れる馴染むのに時間がかかる。かかるけど、慣れれば慣れる程、気を許せば許すほど自分を出しやすくなる。慣れ過ぎると、時には調子に乗って余計なことを言ったりやったりすることもあるのが欠点でもある。

 

本質的にはおだち(ふざけること)で感情的(顔にでにくいだけ)な性格。それが恥じらいを覚えてからは自分を出すことに抵抗を感じて悪循環になっていることが多い。そのため初対面は真面目で堅苦しいヤツと思われがち。時間が経つ程にプラスのギャップが生まれるけど、そこまで付き合いが続くかが問題。

 

素の自分を出すには環境がとても大きく影響する。6か月の長い研修。僕を受け入れてくれる同期の皆とそこから生まれる信頼関係。そんな環境だったから僕は自分を出すことができた。

 

作文では以下の様なことを書いた

 

〈作文概要〉
人によっては僕の事を「変わった」と感じたかもしれない。しかし僕は人は本質的に中々変わらないものだと思っている。歳を取れば取るほど変わりにくくなる。

 

「変わる」ことは難しいけど「引き出す」事は可能だと思う。

 

「変わる」ということは「無いものを取り入れる」こと、「新しいものを取り入れる」ことで、これまでとは違う自分になることだと思っている。

 

「引き出す」ということは自分が本来持っている性格や個性を引き出すことで、「元々自分の中に持っているもの」を表に出すことだと思っている。

 

両者は繋がっている部分もあるので外から見たら違いはわからないと思うけど、本人の感じ方は大きく異なる。見た目だけで判断すると「あの人変わった」と感じる。

 

この研修の中で僕のことを「変わった」と感じてくれるなら、それは同期の皆が「引き出して」くれたのだと僕は思っている。同期の存在が僕の持っているものを引き出してくれて、そのおかげで本来の自分を出すことができた。

 

条件が揃わなければ人の力を引き出す事はできない。自分が望むだけでは中々実現しないし、望まなくても環境が勝手にそうさせることもある。

 

僕は幸運にも素晴らしい同期に囲まれて、自分の力を引き出してもらうことができた。本当に感謝しています。

 

現場に出ても1人1人の個性を活かして活動をしていこう。皆が自分の力を発揮したら自然と結果はついてくるはず。自分に自信を持って頑張ります。

 

というような事を書いたと思う。

 

その考えは今も変わらず同じで、「人の力を引き出すのは周囲の人と置かれている環境」だと思っている(ただこの時は頭でっかちで経験も乏しかったため、本当に理解できたのはもっと後になってから)。

 

そしてこれを書いた時は思ったことをそのまま書いただけだったのだけど、この作文が自分自身を勇気づけるとはこの時は思ってもみなかった。ほんと、何が起こるかわからないものだと改めて感じる。

何とかなる

6か月に渡る研修が終わり配属先に向かう時が来た。ようやく現場での営業が始まる。

 

環境変化に弱いくせに、なぜか何とかなるという自信をこの時は持ってた。僕の特徴として「何とかなる」と思うクセがある。良くない事、好ましくない事が起こっても「最後は何とかなる」と思うクセ。

 

基本的に超慎重で悲観的な性格なんだけど、時々「えいやっ!!」って飛び込む時がある。いつからか覚えてないけど、気付いたらそうなっていた。それはこれまでの経験が大きいんだと思う。

 

大きな成功体験が重なってではなく、小さな経験が積み重なり振り返ると「あ、最後は何とかなってたな」、「これまでが何とかなって来たからこれからも何とかなるよね」っていう、根拠があるような無いような、そんな感じ。

 

新入社員の時は今ほどの「何とかなる」パワーは無かったけど、経験を積むにつれて強くなっていった。

 

例えばこんなささいなことの積み重ね。卸に行くために営業車を運転している時にお腹の具合が悪くなった時。渋滞、信号待ち、前に進まない。降りて用を足せる場所もない。卸に到着してトイレに行くのが確実。しかし状況は深刻。正直「もうあかん」と思ったけど、奇跡的に卸に着き、トイレも空いていて無事用を足せることができた。その後、それに似たことが2度3度あった。

 

くだらない事かもしれないけど、このうような「追い詰められたけど何とかなった」という経験は人を強くすると僕は思っている。その出来事をどう解釈してどう消化して昇華するか。

 

大きな成功体験でなくても、仕事でも日々の中の出来事何でもいい。自分の中の根拠になるものを探してそれを自分にとって良い意味付けにする。ある程度の経験が必要だけど、心構えを持つ事でいつでも可能だと思う。

 

ちなみに、ちょっと参考にしたのが「岸部四郎氏」 岸部四郎 

連帯保証人、借金、自己破産、病気など晩年は苦労されたけど、前向きで明るい性格、面白いキャラクターが好きだった。

 

その岸部四郎氏が何かの番組で、「色々あるけど、何とかなりますよ」って明るく前向きに言っていたのを観た時、「同じ考えや」、「最後は前向きに」って思った記憶がある。

 

何気ないことだけど、自分の中の糧として積み上げっていくのはこういう事で、何があろうと確固たる自分の柱になるのだと思う。

 

そこまで思えるのはもうちょっと後のことだけど、「何とかなるだろう」という気持ちで現場に出て行った。しかし、あれほど悩み苦労するとは思ってもいなかった人生の中で5本の指に入る落ち込みが、現場には待っていた。

□新入社員~現場編~(準備中)に続く