浪人編

  • 2021年11月23日
  • 2022年7月20日
  • 自分史

浪人

河合塾名駅校所属(私立文系コース)。
4月~7月まで寮生活。
8月以降は自宅から通学。

前半

自宅から通う時間がもったいないと思い寮生活を始める。1人暮らしはもちろん初めて。食事は作る必要はないけど、洗濯、掃除などは自分でやらないといけない。テレビは共有部屋のみ20時までで持ち込みは不可、風呂も大浴場。

 

CDプレーヤー、カセットデッキはかろうじて持ち込みOK。受験のための生活なのだから当然と言えば当然。環境が大きく変わり不安が大きい中で、無機質な部屋は余計に不安を大きくした。今思うと環境変化に苦手な性格なのだから寮生活に合わないのはわかっているのに、なぜかそれに反する行動をとる。

 

時々こういう行動をすることがある。自分の事をわかってるようでわかってない。自信過剰なのもあるのかもしれない。その一環なのか、段階を踏まずに一気に成果を出せると思っている節がある。高校の時もそんな甘い感覚があって、それが受験失敗の一因だった。
例えば、「これだけやれば偏差値○○アップ!」というものに弱かった。1つの教材をやり込むより、あれもこれも手を出して結局中途半端。歳を重ねる中で痛い目に合いながら学習をし、今は飛びつくことはないけど、人間、そういうのに弱いと改めて感じる。

前の部屋の非常識住人

もとい、不向きな寮生活。当時から僕は音、光、匂いに敏感で、特に音が気になると寝られない。

 

寮の決まりを守らず、常識がない人間はどこにいっても一定数いるもの。前の部屋のヤツがまさにそれで、消灯時刻の20時以降も話し声が響く。音も響く。朝から扉を開けて大音量の音楽をかける。
寮長に言うもポンコツ寮長なので何も解決せず。本人に直接言うも逆切れする始末。常識のない人間なので通じる訳がないけど黙ってはいられない。殴り合いにはならなかったけど犬猿の仲。同じ空間にいるだけで嫌になる。

 

これ以上悪影響を受けたくないので、キリの良い前期で退寮することにした。

 

僕は寮を出て通うことができたからまだ良いものの、それができない人はその環境でやるしかない。普通に生活したいだけの人間が不当な人間によって侵害される。正しいことを訴えても正しさが通用する訳ではない。すごく理不尽だと思った。

 

もの凄く納得がいかず、また入寮費が10万円かかっていて、止むを得ない理由により前期で退寮したため入寮費の月割返還を求めた。詳細を伝えたのだけど返金はしてもらえなかった。寮の改善についても言及は無く、誠意は感じられなかった。

 

この時はそこまで気にしていなかったけど、ごく少数の非常識な連中が常識ある人間を侵食していく。ことわざで言うところの「悪貨は良貨を駆逐する」、「1つの腐ったミカンが周囲のミカンを腐らせる」の意味が良くわかる。善意の力より悪意の力の方が影響力が強い。善意ある人は心が優しく、悪意ある者は声が大きく威圧する。

 

僕は理不尽が大嫌い。その点は今も昔も変わらない。損な生き方なのかもしれないけど自分の中の大切な部分なのでこれからも
変わらず持ち続けたいと思う。

後半

夏以降は自宅から通い始めた。

時間はかかったけど友人に会う機会も増え、電車内で勉強もできたので寮生活よりいいペースで勉強ができた。はやり慣れた環境が一番良い。かといって成績が飛躍的に伸びたという訳ではなく上がったり下がったりの状態。現役よりは上がってるけど希望の大学には程遠い。

 

ちなみに、現役の時は英語系に行きたくて外国語、英文などを受けていた。大して英語得意ではないのに、英語ができたらいいな、位の浅はかな考え。しかし浪人してからは一転、法学部を目指し始めた。「生活の役に立ちそう」、「つぶしが効きそう」、「法曹界もいいかも」という感じで大きな熱意があった訳ではなかった。

 

大学も「ミッション系」というものに憧れて青山、立教など手が届かないとこを希望し、イメージと理想ばかり見て現実との乖離をイマイチ掴めていなかった。そんなんだから恋の悩みをクラス担当の人に相談してしまう。ヒマなのかと。所々で現実逃避をしてたんだなと思う。

 

そんなこんなで受験を迎える。12月に神奈川大学の給費制試験が全国各地で開催され名古屋でも実地されると知る。超成績優秀ならすべての学費が免除され、まあまあなら2月試験が免除される。給費生は厳しいにしても一般試験免除を狙い受験した。確か12月23日が受験日で発表が1月5日頃。

 

手応えは自信持てる程ではないけど悪くはないかな、という感じ。でも親には期待持たせるのも嫌なので「どうかなー」っていう期待薄な言い方をしてた。親はうるさくは言わないけど困ってた。素直に言えない性格でごめんね。

 

そして合格発表の日。忘れもしない1月5日(金)の17時。ガンダムWのオープニングの時に玄関のチャイムが鳴った。郵便屋さんが速達を届けに来てくれた。(今思うと速達の時点で「合格」なのだけど、その時は何も知らない)。封筒に「神奈川大学」の印刷が入ってて、封を開けたら一般試験免除の通知が!!これはものすごく嬉しかった今までの人生の中で5本の指に入る嬉しさで、10代の中で一番嬉しかった。

 

最低でも進学先が決まったという安心感があり精神的にとても楽になった。2月試験も本命に絞って受験することができた。両親も一安心という感じだった。ただ、安心感はゆるみにもなったなと振り返ると感じる。

 

その後は自習期間だったので予備校には通わず自宅で勉強を続けていた。そしたら体重が70㎏まで増えた(通常は65㎏前後)。かなりの閉じこもり生活を続け、2月15日の受験を最後に浪人生活を終えた。最後の立教大学の受験の際は雪が降って1時間以上遅れたのもいい思い出。

 

〈受験結果〉
・神奈川大学 法学部 法律学科 
 給費制試験 一般試験免除
・他私立大学4校受験 全て不合格

神奈川大学に進学決定

1人暮らし、関東、大学ライフ。
環境の変化に弱いけど、
楽しみが強くて期待感が大きかった。

番外編 ~父と引越~

1人暮らしをするにあたり、アパートを借りるために1日上京した。今思うと良くやったと思うのだけど、親の付き添いなしの1人で部屋探しをしにやって来た。当然部屋探しをしたこともなく土地勘もなく、大学から徒歩圏の物件で親から定時された予算内で決めることを目的にやって来た。

 

大学近くの不動産屋に適当に入り何件が候補を上げてもらい内覧。「大学に近い畳の部屋(予算内)」と「大学からちょっと離れたフローリングの部屋(予算ちょっとオーバー)」の2つが最終候補。迷って親に電話したら「予算内にしなさい」と当然の返事。中学の同級生(超優秀)が先に上京してたのでアドバイスを求めると、「大学に近い方が便利」とアドバイスをくれた。
総合的に「大学に近い畳の部屋」に決めた。その日中に決めて、書類などは郵送してもらった。

 

その後、1人暮らしに必要な家電製品、生活用品など色々と買ってもらった。テレビビデオ(テレビとビデオデッキの一体型のテレビ。直ぐに廃れた)が直ぐに不具合を起して、やっぱりテレビとビデオデッキに分けたことが思い出に残っている。

 

ちなみに、実家にはビデオデッキがなかった。電子レンジもなかった。理由はよくわからないけど父親が好きでなかったのと、必要としてなかったからだと思う。母親もレンジを必要としてなかったし、というようどのように便利か知らなかったのだと思う。新しい物には疎いのが我が家の特徴。
小学生の頃は大好きなドラえもんを録画できないので、カセットテープに音声を録音してそれを何度も聞いてたのが良い思い出(マイクから音を拾うため話声も入ってる)。当時はビデオ欲しいなと思っていたけど、これはこれで良かったのかなと思う。
両親が身の丈に合った生活、無駄使いをしない生活を営んでいたのでその感覚が僕にも影響しているのだと思う。

 

そして引越のために父親も一緒に上京することに。僕は一人で良いと思ってたんだけど父親が付いてくると言うので渋々一緒に上京。ちょうど同級生(家探しアドバイスをもらった彼)が帰省から東京に戻る時で、一緒の新幹線に乗ることになった。一方、父親は離れた席に座ってもらった。正直、当時は父親のことがあまり好きではなくて、一緒にいても話すことはないし話さないし、何となく気まずかった記憶があるまして父を交えて友達と一緒に新幹線に乗ることは考えられず離れた席にしてもらった。
今思うとひどいなと思うけど、当時は思春期でもあり仕方なかったかなと思う。

 

肝心な引越は父親がいてくれたおかげでスムーズに進み生活環境を整えることができた。来てもらって助かった。日帰りの予定だったので、引越を終えて夕飯を一緒に食べることに。白楽駅近くの中華料理屋で一緒に食事したことをよく覚えている。何を話したのかは覚えてないけど、一緒に来てくれてありがたかったと思ってた(言葉ない出してないけど)。

 

口数の少ない父親で、褒めることも叱ることもほとんど無かったし、物心ついた頃に一緒に遊んでもらうこともほとんど無かったけど、愛情を感じた。いや、この時はそれ程感じてなかったと思うけど、後になって当時を振り返って父親の気持ちがわかるようになった。それも父親が亡くなった後で。遅いよなぁ、と思う。生きてるうちにそういう話ができれば良かったのに、なぜかそうはならないもの。いや、亡くなったから余計にそう思うのか。生きていたらそこまで思わないものかな。そう思って納得するようにしている。ありがとう、お父さん。

 

さて、これで大学生活の準備は整った。どんな大学生活になるのか。不安よりも楽しみの方が強かった。

◇前編に続く