高校生
公立高校。
新しい高校で、
元々は田んぼだった所にできた
高校の7期生。
7時の電車に乗り、乗り継ぎ1回。
最寄の駅から自転車で
5分程かけて通学(雨のときはカッパ)
自宅から駅までも自転車のため
自転車が2台必要だった。
3年間良く通ったと思う。
今までの人生の中で
一番しんどい通いだった。
クラスの数などは忘れた。
1クラス男女約40名だったと思う。
公立では珍しい英語科があり、
9割以上女性徒で皆優秀。
2年以降は私立コースと
国公立コースに別れる。
さらに3年からは日本史と
世界史コースに分かれる。
僕は私立コースの世界史を選択。
高校は知っている顔が
ほぼいなくなり一層緊張した。
1年の時は話す切っ掛けを逃がし続け
ほとんど会話をしない1年を送る。
野球部のメンツとは
普通に話をするのだけど、
クラス内ではほとんど話さず
弁当も1人で食べている。
それを不憫に思ったのか、
教育実習生の先生が一緒に
弁当を食べてくれた。
気を遣ってくれたのはわかるけど、
変に注目されて逆に
恥ずかしくなったことを覚えてる
その時は大きなお世話と思ったけど、
気持ちは嬉しかったです。
ありがとう、先生(名前はわからない)。
高校生の想い出
・「高校ではピッチャーをやる」と決めており、予定通り野球部に入部。1年は15名程の入部だったと思う。2年生、3年生も同じ位の人数だったように思う。チーム力は県ベスト8が最高と聞いていた。
・高校は中学と違い、1年生も最初から練習に参加できたことは驚いた。3分位バッティング練習ができるのだけど、回転式のマシーンが初めてで全く当たらず打てなかった自分にも驚いた。同級生でも打ってる奴はいるので、マシーンのせいではなく、単に自分が下手というだけだった。
・高校は学年関係なく、上手い者がレギュラーになれる環境だったので、練習に対する不満はなかった。あったのは、自分の不甲斐なさ。ピッチャーとしてある程度投げることができると思っていたのだけど、始めて握った硬式球が全くしっくりこない。思った程スピードも出ない。肩には自信があったけど思ったように投げられない。試合にも出られず、背中や太もものケガが続き、徐々に自信をなくしていく。
・1年の終わり頃、野球が楽しくなくなり苦痛になっていることを感じ、退部を決める。今振り返ると、自信を無くす程練習してないしそもそも土俵に上がってないし、と思うのだけど当時の自分にはそれがわかってなかった。もっと気楽に野球をやれば良かったのだろうけど、生真面目に考える性格が災いしてマイナスマイナスになっていってた。
・部活から解放された2年生の夏、好きな子ができて人生初の告白。最初はフラれたけど、その後つき合うことに。人生初のお付き合い。とは言っても田舎の高校生で高校も別。電車が同じだったので朝会う位で接点が少ない。それでも何か不思議な気持ちだった。フラれた時はザードの「揺れる想い」を聞きながら大泣きしていたのがウソのようだった。
・長島スパーランドという遊園地で初デート。一日中色んな乗り物に乗ってゲームとかやって楽しかった。彼女も楽しそうだった。手をつなぐことはできなかったけど、充分満足だった。
・その直後の事はよく覚えてないのだけど、ある時何となく彼女の様子が変だなと思って、帰りを待って一緒の電車で帰った。やはり様子が変。話をしても続かない心ここにあらずって感じ。嫌な予感がして、いつもは終点前で降りるのだけど、彼女が降りる終点まで行くことに。すると「別れたい」という。理由は聞いたかどうか頭が真っ白で覚えてないけど別れることに。僕も強がってか何だかわからないけど「今までありがとう」何て言ってる始末。同じ子に2度フラれた校2の秋。その間約1か月。つき合ったと言えるのかどうかわからない期間だけど、僕の初めてのお付き合いはあっさりと終了。
・受験に備えて勉強に励み、定期試験は詰め込みで何とかなるので成績は常に上位。しかし、実力テストでは実力が無いので成績は並以下。中学の時と同じパターン。いや、悪くなっている。小学生の頃に培うべきだったはずの基礎力が無いのだと感じる。とは言ってもやるしかないのでやれるだけやる。
・友人からかりた「学問のススメ(3部構成)」という小説が面白くハマった。甘く切ない受験生の物語。こんなのを読んで時々現実逃避をしていた。この本から作家の清水義範氏が好きになった。
・受験は受かる大学ではなく、行きたい大学を優先したため全滅。当然の結果。全て関東の大学を受けていたので、「少しは近くの大学も受けたら」と母親から言われるも聞く耳持たず。今思うと相当わがままで親不孝だったけど、当時は関東の大学しか興味が無かったので仕方なかった。
・浪人の前に、留学という道もいいかなと思い父親と説明会に参加。行き先はニュージーランド。マリンスポーツなどのアクティビティがあってメリハリが効いてて楽しそう。しかし目から火が出るほどの学費。我が家では無理、ということで留学は無くなり浪人生活へ。
自分の人生の中で、高校生活の思い出が一番少ない。高校時代の友達が少ないのでそれはそうなるし、そうしたのも自分なので何の後悔はない。その割にはインパクトのある思い出があり、振り返るとそれなりの行動はしていたのだなと思う。
浪人生活はイメージしていなかったのだけど、なるべくしてなった状態。
寮生活から始まる浪人生活。スタートからトラブルに見舞われる。
◇浪人編に続く