中学生
町立中学校。
周辺の4つの小学校が
1つの中学校に集まって成り立っている。
1学年 男女計約200名、5クラス制。
1クラス男女40名程で男女比率は半々。
全校生徒約600名の中学校。
家から約2㎞、自転車で約20分の場所。
当校は各自自由(遠い子はバス通学)。
8時15分頃には学校に着いていた。
部活の朝練がある時は7時前に登校。
毎年クラス替えがあり
担任の先生もその都度変わる。
中学入学時は環境ががらりと変わり
かなり緊張していた。
小学校の時は知っている顔ばかりだけど、
中学は知らない顔ばかりで
馴染むのに時間がかかった。
それでも
2年、3年と上がるほど慣れてきて
少しずつ楽しくなってきた。
小学校の頃は全くやらなかった勉強も
中学では定期試験のために勉強を始めた。
最初にそこそこ成績が良かったため、
それが基準となってその後もまずまずの
成績を残すことができた。
この時は気付いてなかったけど、
「一度上げると落としたくない」
という成功体験をしていたことは
後々大きな経験と財産になる。
中学生の想い出
・3年生は柄の悪い生徒が多く、怖かった印象がある。今と違い、当時の2学年上は相当上に見えたし、柄が悪いと相当怖く感じる。入学するちょっと前まで中学は荒れていて、ガラスが割られたりバイクが運動場を走ったりしていたらしい。僕が入学したと時も数回、バイクが運動場に乱入してきたことがあった。
・髪型は男子は全員坊主。指定の学ラン、指定の自転車、指定のヘルメット、指定のジャージ、指定のカバン、指定のスポーツバッグなど、全て学校指定の物だった。ギアがついていない何の変哲も無い自転車が5万円程したし、制服やジャージも同じ業者だし、とにかく高い。癒着してるんじゃないかと感じてた。
・野球部に入部。ちなみに部活は必須。3年生がいる間は球拾い、声出しのみで野球は何もできず。3年生の機嫌次第で走らされたりと理不尽な事が多かった。夏の最後の試合、内心「早く負けろ」と思ってたら1回戦で負けた。そこからようやく野球ができるようになったけど、守備だけでバッティング練習はできず。上級生が夏の大会で負けてからようやく本当の野球ができるようになる。
・小学生からの流れでファーストをやることに。今思えば外野かピッチャーやっておけばと思うけど当時は何も考えずにやってた。当たれば飛んだけど力任せで確率は高くなかった。でもチームは強くてほとんど勝っていた。同級生は13人だったけど、ピッチャーと守備が良くていいチームだった。2年の夏~3年の夏までの1年間はとても楽しかった。
・水島新司の野球漫画が大好きで、一番好きなのは「大甲子園」。水島新司の歴代野球漫画の主人公が一堂に会して甲子園で戦う野球漫画。特に悪球打ちの岩鬼が好きで、関西弁色が強くなった。漫画とはいえ、実際の野球に取り入れられることは多分にあり、大いに参考にした。
・誰とでも友達になれるという性格ではなく、時間を掛けて仲良くなるタイプだった。小学生の頃の感覚とは違い、違う自分を感じているような気がした。今思うと、慣れない環境が苦手で慣れるまで時間がかかるタイプで、その事に初めて気付いたのが中学入学だったのだと思う。社会人の頃にはそれを知っていたので、「時間を掛ければ大丈夫」と思えるようになっていた。
・日々の勉強は宿題中心で、定期テストの前に集中して勉強していた。詰め込みでやっていたためか、実力テストでは定期テストより成績が良くなかった。
・中学2年、3年の時が人生の中で一番頭に入ってきたと思う。ノートを見て全体像をイメージすると大抵覚えられた時がある、
定期試験はこれで乗り越えられたけど、定着しない分実力テストはイマイチだった。
・高校受験は、私立(すべり止め)を2つくらい受けて、本命の公立高校を1校受ける、というのがここの中学の一般的なやり方。
公立高校はどこでも受けらえれる訳ではなく、受験可能な地域が決まっていた(今は無くなったらしい)。私立はすべり止め、大半は公立に進学する。
・志望高校を決める際、本心は県内でもトップクラスの公立高校に行きたかったけど、2ランク程上のレベルで引っ掛かりもせず。当落選上の公立の受験もありだったけど、高校が2か所に分かれていて自分で選ぶことができない、遠い方だと6時過ぎの電車に乗らないといけないというリスクがあったため回避。「鶏口となるも牛後となるなかれ」のことわざを実現するべく、まず受かるであろう高校を受験。
・合格発表を見に高校へ行き、無事合格を確認して帰宅。帰宅した瞬間、祖母が亡くなったと電話があり。「おばあちゃんが受からせてくれたんやね」と母が言ってたことが強く印象に残っている。
・自分の世界に閉じこもる事が増え、親ともあまり話しをしなくなっていった。かと言って仲が悪くなった訳でもない。反抗期、照れなど色々な要因があったと思うけど、今思うと「構って欲しかった」のだと思う。自分から遠ざけていたけど、その反面気に掛けて欲しかったのだと思う。両親共に放任主義で放っておいても勉強する僕には何も言わなかったけど、本当は色々と聞いて欲しかったんだと思う。ただ実際に聞かれたら「うるさい」、「邪魔や」とか言ってそうだけど(天邪鬼でごめんなさい)。
・4つの小学校から集まって来ただけあって、運動が得意な奴も4倍以上いる。その中での自分の位置は小学生程上位ではなく、上の下という感じ。成績というと5段階中4。体育で5は取れなかった。ただ、足の速さ、肩の強さ、筋力の強さは上位で自信を持っていた。
・卒業文集の中のクラスのアンケートで、「将来有名になりそうな人」で1番をもらったことがとても嬉しかった。未だ夢半ばだけどいつかは成し遂げたい。
入学当初は不安だったけど、学年が上がるにつれて中学生活が楽しく感じ、3年の時が一番充実していた。クラスメートにも恵まれ良い環境で学ぶことができた。
3年間で気付いた性格は、天邪鬼で、普段は口数少なく、皆がやっていることはやりたがらない、群れたくない、写真と笑顔が苦手、自分の気持ちを伝える事が苦手、個性を発揮したいという願望が強い、そんな感じ。
小学生の時よりも現実を見る力が付いたのか、小学生の時ほど想像することが少なくなった気がする。進化なのか退化なのかわからないけど、着実に歳を重ねている。
◇高校生編に続く