小学生編

小学生

1学年男女計40名程、2クラス制。
1クラス男女20名程で男女比率は半々で、
全校児童300名程の小学校。

小学校は家から徒歩20分程の場所にあり、
7時30分頃に所定の場所に集合し、
地域の班ごとにまとまって集団で登校して
8時前には学校に着き、すぐに外で遊んでいた。

・1、2年
・3、4年
・5年
・6年
と、3回クラス替えがあり担任の先生もその都度変わった。

元々学校は好きだったのだけど、
学年が上がるにつれて益々学校が楽しくなり学校休みの方が退屈だった。

今までの人生の中で一番楽しかったのが小学校。

「あの当時の充実感を超えるもの、または同等のもが欲しい」

と大人になってから求め出すのだが、
それは叶わぬ願いということに気付くには少々時間を要した。

小学校の思い出

・1年か2年の時、クラスで誕生日に手紙を書き合ったのだけど、僕が字もらった手紙の内容が申し合わせたと思うくらい同じで、「みつるくん、ドッチボール強いね。すごいね」っていう内容だった。それ以外褒めてくれる子はほとんどいなかった、というくらいドッチボールが好きで強かった。

 

・2年の時くらい、友達と女の子のスカートをめくったりしてちょっとふざけていた時期があった。その後急に恥ずかしくなり、その頃に恥じらいを覚えた。この恥じらいが後の自分に大きな影響を与えていく。

 

・朝、20分休憩(2時間目と3時間めの間の時間)、昼、放課後は必ず外で遊んでた。放課後は最後の最後までいつも残っていた。ドッチボール、フットベースボール、砂場、ブランコ、サッカー何をやっても楽しかった。

 

・ドラえもん大好き。凧、灯ろう、誕生日の手紙など何かにつけてドラえもんを描いてた藤子不二雄の世界に浸ることがあり、いつかドラえもんの映画のような冒険ができる、パーマンの様に空を飛べると、夜寝る前に夜空を眺めながら妄想していた。

 

・川で魚を手掴みで摂る、森の中を探検して知らない場所に行くのが好きだった。

 

・身長が高く、小学6年の時には167センチあった。同級生より頭1個分以上飛び抜けてた。その反動か、その後8センチしか伸びなかった。

 

・背が高く力も強かったため、体をぶつけ合う遊び(大阪城、Sケンなど)は相当強かった。

 

・ボールを投げるのが得意で肩も強かった。野球に誘われていたけど上級生が嫌いで、上級生がいなくなる時まで野球チームに入らなかった。

 

・6年生から野球チームに入り、ここから野球を好きになる。子供会でソフトボールを強制的にやらされていて、「背が高いから」という理由でファーストをやっていた。その流れで野球でもファーストを守った。

 

・とても弱いチームで、毎試合10点以上取られて毎回負けてた。それでも卒業の試合では1勝できたのは良い思い出。だが、同級生が車のドアを閉めた際に僕の右手を挟まり打撲。試合では力が入らず打てなかった悔しい思い出でもある。

 

・本当はピッチャーもやりたかったのだけど、なぜかやらせてもらえなかった。アピール不足だったのか。

 

・勉強はほとんどやってなかった。授業中は落書きをしてることが多く、話を聞いてなかった。遊ぶことに集中して、授業は集中できなかった。それでも、家庭、理科の実習などは好きだった。

 

・リーダーというと偉そうだけど、どちらかというとまとめ役になることが多かった。勉強はできないけど、運動がそこそこできたから、体がデカかったからだと思う。

 

・いつの間にか、「責任感が強い」と大人達から言われるようになり、子どもながらに「そうなのかな」と思うようになる。そのためか、班長、学級委員など何かをやっていた。6年の時には児童会会長をやった(他薦)。

 

・この当時から頼られるのは嫌ではなかった。押し付けられるのは嫌いだったけど、頼られて助けになる時はやりがいを感じていたと思う。

 

・ファミコンが大流行りした時代で、ねだりにねだって4年生頃に買ってもらった。外で遊ぶことと同等かそれ以上に面白くてずっとやってた。スーパーマリオ、ドラクエ、FFが一番の思い出。

 

・好きな子がいて、ある噂によるとその子も僕の事が好きだと。それを聞いた時の心拍数は200を超えてたと思うけど、結局何もせずできず。噂の真相は謎のまま。

 

・小学生になり、将来の夢は3年生くらいまでは「大工さん」、6年生になると「プロ野球選手」に変わっていた。大工さんは自分の家を自分で造りたかったから。プロ野球選手は、野球が好きで給料が高いからという理由だった。この頃からお金に対する意識があったみたい。

 

・親は放任主義で、あれやれこれやるなということはほとんど言われなかった。その割には素直でなく、天邪鬼な性格になっていった。

 

・毎晩2階から夜空を見てから寝ていて、「この時この瞬間、誰もがそれぞれの別の時間を過ごしている」、「あの星の光は何光年前の光だろう」と考えると何か不思議な気持ち、感覚になっていた。情緒不安定だった訳ではなく想像することが好きだった。

 

とにかく学校に行くのが大好き、学校が楽しかった。今思うと、運動が他の子よりも上手くできたから楽しかったのだと思う。逆に、運動が苦手な子は相当嫌でしんどかっただろう、と思うようになったのは相当後になってから。自分の事しか考えてなかったんだな、子どもは残酷だな、と感じた。

 

あと、結構人を観察していた。特に大人の行動を良く観ていて、観て覚えることが多かった
・親が挨拶をしている姿を観て真似をする
・親が包使っている姿を観て皮の剥き方を覚える
・兄のゲームを観て再現する
・素行の悪さを観て反面教師にする
など、細かい事を結構観ていた記憶がある

 

小学生の時間が僕の人格形成に大きな影響を与えているなと改めて思う。当時の方が世界が狭くて限られているのに、想像の世界が広いためかむしろ世界が広かった気がする。広かったというより、希望や期待が大きかったのかもしれない。当時の感覚がとても懐かしく、また心地良く感じる。

◇中学生編に続く